演奏家でありたい

今までベースという楽器を誤解していたような気がします。
Victor Wootenはキーボードが抜けた穴を埋めるために、ベースいう楽器でどこまで表現できるかを追求していってああなった、ああなってしまったと言えると思ってます。でも、ベースでメロやコードをやったらイカンということもないし、フレットレスベースなんて結構メロ楽器としてそれなりに市民権を得ているような気がするんでソロプレイはベースマニア向けなプレイという訳でもなくなってきてるとも思う。


ソロベースをやりたいんじゃなくて、やっぱりアンサンブルとしてどうか?ってのを追求したいと思ってたんだけど、そこだけじゃ足らなかった。ベースの役割としてメロとリズムの接着剤という部分だけに意識がいってしまうと、どっちにもなれないって事に気がつきはじめたわけですよ。
コードも邪魔しないようにルートだけとか、リズムもドラム、パーカッションに合わせてしまうだけとか、ちっとも自立してないのね。こりゃセッションでもうまくいかんわけですよ。自分が曲に対してどうしたいってのがちっともなくってフロント任せのドラム任せのピアノ任せだからねぇ。
邪魔にならないってのは居ないのと変わらんのとちゃうんか?ってのは極端だけど突き詰めちゃうとソコなんですわ。


結局なにも表現してないし演じてないんだから今のワシのスタンスは単なる「ベース弾き」なんよね。「ベースプレイヤー」じゃぁ無いわけですわ。
で、Anthony Jacksonに辿りつく。彼は間違いなくベースプレイヤーだと思うわけです。(コントラバスギターって言ってるところは、まぁ置いといて)
特にトリオ構成とかでそれぞれの役割が大きくなると彼のプレイが凄く光るわけですよ。押しと引きが上手いというか、出てきて欲しくないところは裏方に徹して、助けて欲しいようなところでススッと手を伸ばし、好きにしてって思うところでは自由奔放にという器用さ。ひとりだけでも曲として成り立たせる事は出来るけどみんなで作り上げてくのが良いって雰囲気が感じられるんですな。ベース1本でも音色の変化やフレーズの変化でいろんな表情が出せてしまう。


だからワシが今後目指していきたいところは「ソリストの一歩手前」な気がします。ベースって楽器でどこまで曲に対して向き合えるのか。楽器の構成や場面に合わせてどこまでが自分の役割なのか。ますますやる事が増えてしまってどーしようか?っていう気もするんですが、ちょっとずつなんとかしていこうかという感じ。

きっかけは歌ものセッションでの割と単純なベースラインをどうやって歌モノらしく弾こうかって考えたのと、パット・メセニーのFirst Circleの序盤の静かな所と後半の牽引の仕方をぼっさーと考えてたって2つなんだけど、どっちも奥が深すぎて困りモンです。
で、思いついたのが「アンソニー・ジャクソンならどうするか?」っていきなりソコに飛んでしまったから。思いつくにしてももうちょっとなんとかなりそうな人を思い浮かべればいいのに、よりによって・・・ねぇ?


大変なことになってきました。